ごあいさつ

世の中、コロナの変異種が出回って居り、ワクチンも滞っていて収束はまだまだ先のようで不安になります。こんな時こそ、基本を守って、じっと耐える!待つ!事が大切よね。
今日は私が小学3年生の今から60年以上前の思い出話しをしようと思います。皆の日頃のストレスが少しでも軽減される事を願っています。
学校行事が皆の拠り所

私の街の規模は大きくも小さくもなく、中位で昔は楽しみと言えば、どこの地域もそうであったように学校行事、特に学芸会と運動会が二大イベントで皆の唯一の楽しみ、拠り所でした。
私達の学校も「学芸会」の時期になり、先生も生徒もウキウキと活発で、街中がその話題で持ちきりとなり、我が家でも食事の度にその話題で盛り上がっていた。
私達のクラスは若い女の先生で、とてもハリキっていたのを覚えている。
木琴と鉄琴
クラスの出し物は全員で「木琴の合奏」に決定!
学芸会当日の発表までには皆、完全に弾けるようにする事という課題が出された。
そして先生が「家に木琴がある人!」と言うと皆「ハーイ!!」と手を上げた。
多分3分の2位いたと思う。学校だけではなく、家でもしっかり練習してくる事!というのが先生の言い分。
残念ながら私の家には「木琴」は無く、それどころか、当時貴重だった「鉄琴」があった。(昔、先祖の物だったらしい)
音は金属音だけれど、決して悪い音色ではなかったし、それで充分練習は出来たが「木琴」の包み込むような温かい癒しの音とは程遠く、私は手を上げる気分にはなれなかった。
新品の木琴で練習に励む!

早速私は家に帰るなり、「皆持っているのに私だけ無い!!」と言って駄々をこねた。当時の時代は医者をやっているか、手広く商売をやっている家以外は皆、貧しかった。
母親はそんな子供のわがままを簡単に受け入れるはずがありません。私は泣いたり、わめいたり、食事をボイコットしたり、ありとあらゆる抵抗をしたものでした。
ついに母親は根負けして、ある日突然、新しい木琴を買ってきたのです。私は思わず目を見張りました。
黒く光った、真新しい木の香り、金色の文字でドレミ・・・の音符が書いてあり、音階が沢山あって、立派な木琴でした。
母親は「これをムダにしないで、一生懸命練習しなさい!」とだけ言って部屋を出て行った。私は母の心情等、察する事もなく、ただワー、ワーとはしゃいでいた。
学校では音楽室の段ボール箱に結構な数の木琴が保管されている。それを使って、皆で放課後、練習をし、帰ってからは、その新品の木琴で練習に励んだ。
練習に励んだ新品の木琴を持たずに・・・。

いよいよ学芸会当日、庭では白いテントの受付所、体育館の会場入口には横断幕。運動会ではないので、天候には関係ないが、確か晴天だったような気がする。
私は買ってもらった木琴を持って舞台でそれを使うつもりでいたが、迎えに来た友達が「重たいし、荷物になるから、皆も音楽室にあるのを使うから持って行かなくても大丈夫だよ」の言葉に促されて、いつも家で練習していた新品の木琴を持たずに、私はそのまま学校に向かった。
多分皆が寄って来て、貴重な木琴が傷ついたりするのがイヤだったのかもしれない。
超!緊張!!
学校に着くと、各クラス、思い思いに演目を練習していてうるさい位、にぎやかだった。
私のクラスは1組で3年生の中では出番はトップ!皆ソワソワし出して落ち着かず、私はと言えば、決して表面には出さなかったけれど、内心は超!緊張!!していた。
勿論、幕は閉まっているので、皆、舞台に上がって思い思いに音楽室から持ってきた木琴を並べて自分の位置に着きはじめた。
舞台にすべり込みセーフ
私は急いでトイレに寄り、音楽室から木琴を持ってこようと段ボールに近づくと、なんと、そこにはクリーム色の古びた木琴がたった1つ!しかもドレミ・・・の文字が消えかかっていて弾きずらそう・・・。
私は「何でこの木琴、白っぽいの?他はみんな黒やこげ茶色なのに、ドレミの文字も分かりずらくて、こんなのヤダ!!」と心の中で叫んだ。でも躊躇している暇は無い!早く舞台に行かなければ・・・。
私は走り出した。そしてパニックになっていた。始まる前のシーンと水を打ったような静けさの中、息せき切って滑り込んだ。先生がチラッと厳しい目で私を見た。
辛くて苦しいカモフラージュ
そして先生の指揮棒が動いた。
私は焦りと、このクリーム色の古びた木琴!目安になる為のドレミの音符の文字が消えている。しかも音色が・・・ちょっと変!?
私は頭が真白になり、どこをどう弾いてよいのかわからず、木琴だから手を止めている訳にもいかず、観客、そして先生の目をカモフラージュする為に、音が出ない程度に適当にリズムだけ合わせて、手を動かしていた。
何の曲だったかは忘れてしまったが、小学生の短い曲には違いなかった。
でもその時の私には何時間もの長い空間に思えて、そこに座って、ただひたすら弾いているフリをする事が辛くて苦しかった。
決して話す事のない学芸会の出来事
先生の指揮棒が止まり、周りの友達も皆、フッ!とため息をつき、幕が引かれた。
私も我にかえり、すぐには立てなかった。
仲良しの友達が私の手を引いて「今日、家で食事会をするからおいで」と言ってくれたが、私は行けなかった。
この学芸会での出来事は先生にも友達にもそして家族にも、決して話す事はなかった。
クリーム色の古びた木琴を見に行くと

翌日、何だか気になって休み時間に音楽室の木琴の入った段ボールを、もう一度見に行った。
黒い木琴達が乱雑に置かれ、その中にクリーム色の古びた木琴が、ひっそりと横たわっていた。
私はこの時以来、母親にわがままを言わなくなったような気がしている。
